カタールのアル・サッドに所属する元スペイン代表MFシャビの予想が的中した。

シャビは大会開幕前に同国メディア『AL KASS』の番組内で大会の結果予想を実施し、まず決勝トーナメントに進む16チームを選んだ。1回戦では「シリア vs バーレーン」「日本 vs サウジアラビア」「タイ vs 中国」「イラン vs レバノン」「オーストラリア vs ウズベキスタン」「UAE vs イエメン」「韓国 vs オマーン」「カタール vs イラク」という対戦カードを予想。イエメン、シリア、レバノンがグループステージ敗退を喫したため完全一致とはならなかったが、それでも16カ国中13カ国を当ててみせた。

そして、シャビは上記の対戦カードを踏まえてシリア、日本、中国、イラン、オーストラリア、UAE、韓国、カタールがベスト8に進出すると予想。実現した対戦カードは「ベトナム vs 日本」「中国 vs イラン」「オーストラリア vs UAE」「韓国 vs カタール」の4試合と、ベトナムを除く7チームを的中させてみせた。さらに、準決勝は「日本 vs イラン」「オーストラリア vs カタール」という組み合わせになると予想し、3チームを的中。ここから日本とカタールが決勝に進むという予想も現実となった。

そして決勝ではカタールが勝利を収めて初優勝を飾ると予想。そのとおりに、カタールが3-1で日本を下した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190202-00901211-soccerk-socc

各選手の採点と寸評は以下の通り。

2

権田修一 5.5
12分には左手を精一杯伸ばしたが、アリのシュートを弾き出せず。27分には相手のコントロールショットの前に2点目を失う。83分のPKも止められなかった。

長友佑都 5.5
前半に何度か原口との連係で左サイドから崩しにかかるが奏功せず。守備でもスピードのある相手のアタッカー陣に手を焼いた。

冨安健洋 5.5
準決勝のイラン戦は出色の出来だったが、カタールの勢いに押されたか。この日は対応が遅れる場面があった。

酒井宏樹 5
イラン戦で右足を痛めた影響か、ボールコントロールが乱れた。攻め上がった際のクロスの質も高くなかった。

吉田麻也 4
12分に相手のエース・アリへの対応が甘くなり、オーバーヘッドでゴールを決められると、25分にも目の前でシュートを放たれて失点。不運だったとはいえ、81分にはVARでハンドを取られ、PKを与えてしまった。

柴崎 岳 4.5
中盤でのボールロストが多く、相手にカウンターのチャンスを許す。守備でも後手を踏み、バイタルエリアを空けてしまった。53分の南野へのパスは素晴らしかったが……。

原口元気 5(61分OUT)
21分には得意のドリブルで相手を抜いてクロスを上げるも味方に合わず。サイドに張るだけでなく中央でプレーをしようと試みたが、周囲と息が合わなかった。

塩谷 司 5.5(83分OUT)
遠藤の負傷を受けてスタメンで出場。ボランチとして相手のカウンターに備えたが、マッチアップしたアフィフの動きに翻弄され気味だった。69分には南野のゴールを演出した。

堂安 律 5
前に仕掛ける意識は評価したい。だが、5バックで守る相手の最終ラインを越えられずに最後まで決定機を生み出せなかった。

南野拓実 6(88分OUT)
前半は前線でボールを受けても打開できず。それでも中盤の左サイドに回った後半は68分に待望の今大会初ゴールを決めた。

大迫勇也 5.5
ゴール前でパスを引き出すも、カタールのディフェンス陣に撥ね返された。ただ68分の南野のゴールに絡んだ。

交代出場

武藤嘉紀 5(61分 IN)
2点のビハインドを負っているチームを救うためピッチへ。ただ63分、65分、72分のヘッドは枠を外し、チームを勢いに乗せられなかった。

伊東純也 ―(83分 IN)
3点目を決められた直後に投入される。スピードを活かしたかったが、スペースがなかった。

乾 貴士 ―(88分 IN)
短い時間ながらドリブルで局面を打開しようと試みたが、カタールの牙城を崩せず。

監督
森保 一 5
イラン戦のスタメンからの変更は、怪我の遠藤に代えて塩谷を起用したのみ。従来のメンバーを信頼して送り出したが、早い時間に2失点。後半途中には南野を中盤に回して1点を奪ったが、大きく流れを変える策を提示できたとは言い難い。

【日本代表・総評】 5
遠藤不在の影響か、この日は中盤のバランスが悪く27分までに2失点。攻撃もどこかチグハグで、68分には1点を返したものの、83分にPKで突き放されて力尽きた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190202-00053712-sdigestw-socc

森保監督は1992年大会で選手として優勝を経験しており、選手と監督双方で優勝すれば、大会史上初めてだったが逃した。
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